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福岡地方裁判所行橋支部 昭和55年(ワ)25号 判決 1982年10月19日

原告

出口ツヤ子

原告

久々江トモ子

原告

出口幸弘

原告

出口節次

右原告ら訴訟代理人

塘岡琢麿

被告

富士火災海上保険株式会社

右代表者

大島隆夫

右訴訟代理人

坂口孝治

右訴訟復代理人

山本智子

主文

被告は原告出口ツヤ子に対し金二二三万四五四一円、原告久々江トモ子、同出口幸弘、同出口節次に対し各金一五四万六三六一円及び右各金員に対する昭和五五年四月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの連帯負担、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は原告出口ツヤ子に対し金五一二万六四九五円、原告久々江トモ子、原告出口幸弘、原告出口節次に対し各金三四一万七六六三円及び右各金員に対する昭和五五年四月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

昭和五四年六月一日午後四時一〇分ころ、行橋市大字大橋八〇四の六番地先路上において、訴外中村勝美運転の普通貨物自動車(車両番号北九州六六い七一九一)に、訴外奥浦恭一郎運転の普通貨物自動車(車両番号北九州四〇う三一六四)が追突した。右事故(以下たんに本件事故という)によつて訴外中村運転の車両に同乗していた訴外出口博(以下たんに博という)は、後頭部打撲、頸部捻挫、左上腕打撲、腰部打撲の傷害(以下たんに本件傷害という)を受けたが、その後精神障害を来し、昭和五四年八月一八日午後六時二〇分ころ、突然電車から飛び降り死亡するに至つた。

2  死亡に至る経緯と因果関係の存在

(一) 博は本件事故前、行橋通運株式会社に働いていたが、性格は明朗、精神的にも肉体的にも健康であつた。

(二) ところが昭和五四年六月一日、本件事故により本件傷害を受け、後頭部、項部、左上腕の疼痛、眩暈等の症状によつて、行橋市所在神田外科医院において受診、翌二日も通院で治療を受けたが、前記疼痛の増強、左腕シビレ感、頸部前後屈痛、後頸神経圧迫のため同月四日入院した。

しかし、症状の軽快は認められず、同月二八日退院した。

(三) 同月二八日、京都郡犀川町所在岩本整形外科医院に入院し、治療を受けていたが、前記症状は改たまらなかつた。とくに、頸部に激痛があつた。同年七月二四日退院した。

(四) 右退院後、行橋市所在宮城整形外科医院で通院治療を受けた。

しかし、頸部の運動痛、両肩凝り、両上肢への放散するシビレ感、胸内苦悶等脊髄刺激症状が頑固に存在した。

自宅では胸が苦しいと絶えず訴えていた。夜は頭痛で眠むれないようで、毎晩氷枕をして寝ていた。夜中に「頭が痛い。眠れない」といつて一晩中手で頭をたたきながら部屋のなかを歩きまわつていたこともあつた。

(五) 自宅から右宮城整形外科医院に通院するようになつてから、家人は博の異常な言動に気付いた。

(1) 博は本件事故前、性格は快活なほうで家庭にあつては話題の中心であつた。ところが本件事故により神田外科医院、岩本整形外科医院において入院し、宮城整形外科医院に通院するため自宅に帰つてきたが、そのころはいわゆる腑抜けたような状態になつており「みんなでぐるになつて自分をキチガイあつかいにする」といつて一人で過すようになり家族と話をしなくなつた。

(2) 同年八月五、六日ころ、弟の訴外出口務(以下たんに務という)運転の自動車の助手席に同乗し、長男である原告出口幸弘(以下たんに原告幸弘という)運転の自動車が後行していた。ところが博は突然「追突される。危い。あとをゆけ」といつてハンドルを強く握つてはなさなかつた。

(3) 同じころ、原告幸弘運転の自動車の助手席に同乗し、宮城整形外科医院に通院したときその通行中博は何かを恐ろしがり自動車のドアにしがみついてはなれなかつた。

(4) ときどき「自分の車は停車しているのにわざと追突させられた。暴力団が自分を殺そうとしたのだ」と一人言のようにつぶやいていることがあつた。暴力団から狙われているのではないかとおびえているようでもあつた。

(5) 同月一〇日ころの午前四時ころ、突然弟の務宅の寝室に現われ「頭が痛くてたまらない。何とかしてくれ」と訴えた。

(6) 右の日の二、三日前か後の午前一時ころ、同じく突然務宅の寝室に現われ「頭が痛い。病院に早く連れていつてくれ。キチガイ病院にゆきたくない」といつた。

(7) 同じころ、殆んど毎日一回務の職場や自宅に電話し、あるいは直接来て「宮城整形外科医院は精神病院へゆけという。精神病院へはゆきたくない。どこか大きい病院へ連れていつてくれ。頭が痛い。頭が痛い。」といつていた。

(六) 同月一六日、博は妻に対し「弟もかまつてくれない。自分で病院にゆく」といつて行先も告げず家を出た。その後の行動については詳細については不明であるが同月一七日夜は耶馬溪の山国屋旅館に泊つている。そして翌一八日朝眼鏡と靴を置いたまま旅館をでている。そして、同日午後六時二〇分ころ、日豊本線行橋駅から南1.6キロの地点で進行中の電車から鞄を持ち発作的に飛び降り、脳内出血により死亡するに至つた。

(七) 以上の経過からすれば、博は本件事故によつて本件傷害を受け、その苦痛の継続の結果精神障害を発しそのため発作的に電車から飛び降り死亡するに至つたものというべきである。

したがつて、前記事故と博の死亡との間には相当因果関係がある。

3  被告の責任

前記奥浦恭一が運転していた普通貨物自動車は訴外大鶴勝正が所有し、自己のために運行の用に供していたのであるから同人は自賠法三条による責任を有するところ、右大鶴は加害車について被告と自賠法一一条所定の自動車損害賠償責任保険契約を締結(保険証明書番号第三七―七四二―〇八〇五号)しているものである。

4  損害

博及び原告らは、本件事故によつて次のような損害をうけた。(計算はすべて端数切捨て)

(一) 博の損害 合計金九九七万九四八五円

(1) 休業損害 金二二万七七六六円

博は行橋通運株式会社より一日につき二九五八円以上の収入を得ていたが、本件事故により昭和五四年六月三日から同年八月一八日死亡に至るまで七七日間欠勤を余儀なくされその間の収入を失つた。

2,958円×77日=227,766円

(2) 得べかりし収入 金五三〇万一七一九円

博は死亡当時五四才であり、少なくとも六七才まで一三年間就労可能であつた。生活費を五割として計算するとそのうべかりし収入の喪失は次のとおりである。(新ホフマン係数による)

2,958円×365日×0.5×9.821=5,301,719円

(3) 慰謝料 金四四五万円

博の本件事故後死亡に至るまでの入通院に基づく慰謝料としては金四五万円、死亡に基づくものとしては金四〇〇万円が相当である。

(二) 原告らの損害

(1) 葬儀費 金五〇万円

原告出口ツヤ子(以下たんに原告ツヤ子という)は博の葬儀費として金五〇万円以上の出費をした。

(2)慰謝料 計金四〇〇万円

原告ツヤ子は妻として、その余の原告らは子として、最愛の夫、父を亡くしたものである。

その慰謝料は各原告につきそれぞれ金一〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 合計金九〇万円

被告が任意に損害賠償しないので、原告らは弁護士塘岡琢磨に訴提起を依頼し、その費用として原告ツヤ子は金三〇万円、その余の原告らは各金二〇万円ずつ支払うと約束した。

5  相続

原告ツヤ子は博の妻であり、その余の原告らは子であり、前記博の蒙つた前記損害合計金九九七万九四八五円を法定相続分にしたがい相続した。

原告ツヤ子は金三三二万六四九五円であり、その余の原告らは各金二二一万七六六三円である。

6  結論

よつて、原告らは被告に対し自賠法一六条一項に基づき亡博の相続分と固有の損害の合計及びこれに対する不法行為後である昭和五五年四月九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、3記載の事実は認める。同2、4、5記載の事実は不知。因果関係及び死亡の責任については争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1、3記載の事実については当事者間に争いがない。

二原告らは被告に対し、博の死亡による損害賠償を求めるものであるが、被告は右事故と死亡との間の相当因果関係を争うので、まずこの点について判断することとする。

<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

1  博は昭和二三年一〇月原告ツヤ子と結婚し(昭和二四年一月六日届出)、三人の子供をもうけた。同人は結婚後、運送会社の運転手をしていたが、その後土木工事の下請等を経て、昭和四五年一一月行橋通運株式会社に入社し、当初は運転手としてその後は配車係として本件事故当時まで勤務をしていた。博の性格は明朗であり、精神的に異常と思われる点はなく、健康であつた。

2  博は昭和五四年六月一日本件事故により本件傷害を受け、同日神田外科医院で診察を受けた。同医院の医師神田昭彦はレントゲン検査をしたが異常は認められなかつたことから、同人の傷病名を後頭部打撲、頸部捻挫、左上腕打撲、腰部打撲と診断した。

博はその後同医院へ通院して治療を受けたが、後頭部及び首の痛みが強くなつたため、同月四日から同医院に入院した。しかし入院後も頭重感、項部痛、頸部痛が強く、食欲不振、不眠に悩まされ、各種の鎮痛剤を投与するも治療効果は上らなかつた。

博は右入院期間中精密検査を受けるため同医院の紹介により小倉記念病院脳神経外科に行き、脳波、CTスキャンの検査を受けたが異常は認められなかつた。そのため神田医師は博の当初の痛みは頸部捻挫によるものであるが現在では他覚的所見では症状が軽減しているのに博が痛みを訴えるのは身体を動かさないことから来る筋肉痛によるものだと判断し、入院治療よりも通院治療をすすめた。

しかし、博は退院することに不安を感じ、同月二八日岩本整形外科医院へ転院するために退院した。

3  博は岩本整形外科医院に同月二八日に入院し治療を受けたが、頭部、頸部の痛みが激しく、食欲不振、不眠も解消せず、精神的に非常に沈んだ状態にあつた。この状態に加えて同年七月一五日ころから心因性のものと思われる腹部の痛みを訴えるようになり、腹部痛を和らげるための鎮痛剤を相当に投与されるような状態となつた。そこで同医院の医師岩本皓は頸部捻挫の治療のみでなく腹部痛の治療が必要であると判断し、両方の治療を受けるようすすめた。博は入院が長期になるにもかかわらず症状が好転しないこともあつて、自宅に近い病院に転院し、会社に勤務するかたわら、そこで通院治療を受けようと考え、同月二四日に退院した。

4  博は同月二七日から同年八月一三日まで宮城整形外科医院に行き、通院治療を受けるようになつたが症状は好転しなかつた。同医院の医師宮城董容は、博の症状は頸部運動制限と両肩こりが強く、頸性頭痛出没、食欲減退あり、脊髄神経損傷症状著明と診断したが、更に外傷性ノイローゼの所見があると認め、再三脳外科の受診を勧告した。そのため博はますます思い悩むようになつた。

5  八月に入つてから博の行動には異常な面が目立つようになつた。特に暴力団が自分をねらつて本件事故を起したのだとの妄想を抱くようになり、周囲の物事に脅えるようになつた。又、宮城医師から脳外科へ受診するよう勧告されたことを、医師から見放され精神病院の檻の中に入れられるものと誤信し、「死んだ方がましだ」と口走る等絶望的になつていた。このような精神面の異常は八月一三日から一五日の旧盆中に特に強くなり家族の者も盆があけたら博を精神科に受診させるつもりになつていた。

6  博は同月一六日午後八時ころ突然中津の病院へ行くと行つて家を出た。同月一七日耶馬溪の山国屋旅館に宿泊したが、翌一八日朝旅館の裏窓から部屋に眼鏡を置いたまま、靴もはかずに飛び出し、同日午後六時二〇分ころ日豊本線の進行する列車から行橋市崎野においてとびおり、脳内出血により死亡した。

三右事実を基にして考えるに、博は死亡しており飛び降りるに至る経過、状況の詳細は不明であるが、本件傷害による苦痛が解消されないことによる不安、いらだちが昂じて外傷性ノイローゼになり、その結果精神に異常を来し、正常な判断ができない状況において列車から飛び降りたものと推認される。問題となるのは本件傷害による精神障害の結果判断力を全く失なつて発作的に飛び降りたと見るのか、判断力は失なつていないが自己の状況を悲観して自殺したものと見るべきかであるが、前述した如く博の飛び降りに至る経過、状況が不明であることに照らすと、博が外傷性ノイローゼにあつたことだけで直ちに発作的に飛び降りたとは推認し難く、むしろ、博が生前「死んだ方がましだ」と口走つていたことを考え合わせて、博は外傷性ノイローゼにより自己の状況を悲観して自殺したものと見るのが合理的である。

この場合本件事故による博の受傷と自殺との間に事実的因果関係があることは明白である。問題となるのは相当因果関係があるといえるかであるが、不法行為により傷害を受け、その苦痛に悩まされた被害者が絶望の余り死を選ぶということは決して有り得ないことではなく十分に起りうることであり、予見不可能な希有の事例であるとは思われない。又交通事故を初め各種の不法行為により被害を受けて苦しむ人の悲惨さを思うときに、自殺が本人の自由意思であるとして相当因果関係を否定するのも損害賠償法が目指すべき損害の公平な分担の理念にも反するものである。ただ自殺の場合には本人の自由意思による面があることも否定することはできないし、通常人なら必らず自殺するという事例ならばともかくそうでない場合には一〇〇パーセントの責任を不法行為者に課すことも又公平であるとは思われない。結局自殺を選択した自由意思の程度や通常人が同一の状態におかれた場合の自殺を選択する可能性等を比較しながら受傷の自殺への寄与度を考え、その割合に従つて不法行為者に責任を課すのが最も公平であると思われる。そして本件の場合は前記認定した諸事実に鑑みその五〇パーセントの責任を課すのが相当である。

四損害額について判断することとする(計算は端数切捨てによる)。

1  博の生前の損害

(一)  休業損害 金二二万七七六六円

<証拠>によれば博は本件事故により昭和五四年六月三日から同年八月一八日まで行橋通運株式会社を七七日間休業したが、その間給与の支払を受けていないこと、同年四月から六月までの三か月間に右会社から合計二六万六二五二円の給与(一日当り二九五八円)を受けていたことが認められる。右事実により休業補償を計算すると次のとおりとなる。

2,958円×77日=227,766円

(二) 死亡に至るまでの傷害による慰謝料 金二〇万円

博の本件事故死亡に至るまでの傷害の慰謝料は傷害の態様、治療日数を考慮し金二〇万円と認めるのが相当である。

2  博の死亡による同人の損害

(一)  同人の将来の逸失利益

<証拠>によれば博は死亡当時五四才であつたことが認められ、少なくとも六七才まで一三年間就労可能であつたと推認される。そこで生活費を五〇パーセントとして新ホフマン法によりその得べかりし利益を計算すると次のとおりとなる。

2,958円×365日×0.5×9.821≒5,301,719円

(二)死亡による慰謝料 金二〇〇万円

博の死亡による慰謝料は死に至つた経過、事情を考慮し、金二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  博の死亡による原告らの固有の損害

(一)  葬儀費 金三五万円

弁論の全趣旨によれば原告ツヤ子は博の葬儀費として金五〇万円以上の支出をしたと認められるが、そのうち金三五万円を本件事故と因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(二)  慰謝料 各金一〇〇万円

<証拠>によれば原告ツヤ子が博の妻、その余の原告らが子であることが認められ、各原告の苦痛に対する慰謝料の額は各金一〇〇万円と認められるのが相当である。

五前記三で述べた如く博の死亡による損害は自殺であることを考慮し、五〇パーセントの責任に限るべきであるから、博の生前の損害(前記四の1)を除き、五〇パーセントを控除することとなる。そうすると各人の損害は次のとおりとなる。

1  博の損害 金四〇七万八六二五円

227,766円+20万円+(5,301,719円+200万円)×0.5≒4,078,625円

2  原告ツヤ子の損害 金六七万五〇〇〇円

(35万円+100万円)×0.5=675,000円

3  その余の原告らの損害 各金五〇万円

100万円×0.5=50万円

六原告ツヤ子が博の妻であり、その余の原告らが博の子であることは前記認定のとおりであり、原告らが法定相続分に従つて博の損害を相続したが、その額を計算すると原告ツヤ子が金一三五万九五四一円、その余の原告らが金九〇万六三六一円となる。

そして右額に原告らの固有の損害を加算すると原告ツヤ子は金二〇三万四五四一円となり、その余の原告らは各金一四〇万六三六一円となる。

七本件訴訟の難易、経過、認容額を考慮すると原告らの弁護士費用としては原告ツヤ子については金二〇万円、その余の原告らについては各金一四万円が相当因果関係のある損害と認める。

八以上により原告らの本訴請求は原告ツヤ子については金二二三万四五四一円、その余の原告らについては各金一五四万六三六一円及び右各金員に対する昭和五五年四月九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるところ、右各金額は自賠法施行令二条一頂に定める自賠責保険の保険額の限度内であるので認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(草野芳郎)

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